はなの日記

思ったこと、日常の事を書いていきます。

泣くことについて

私は今年で23歳だが、歳をとるにつれて涙脆くなってきたなと実感する。正確には昔から涙脆いが、人前で泣く事が恥ずかしく押し殺してきたのだ。


初めは幼稚園の卒園式だった。クラスのみんなが先生とのお別れを惜しんで泣いていて、先生も泣いていた。私も泣きたかった。

でも、何故か泣いているところを先生や親、友達に見られたくなく、涙を堪えて卒園式を終えた。その帰りにお前は感情がないと母親に怒られたのが辛かった。本当は大好きだった先生とお別れするのは嫌だったし、泣きたかった。その夜は1人で泣いた。


それから今でも人前で泣く事に酷く抵抗がある。感動する映画を親と見た時、先生に怒られた時、泣くほど痛かった時などずっと押し殺してきた。去年祖父を亡くした時も、家族中泣いている中、私は必死に涙を堪えた。


泣く事は恥ずかしいことじゃないと分かっていても、私の性格上人前で泣く事は恥ずかしいことで決して見られたくないことなのだ。なので、これまで何度も人目のつかないところで時々涙を流してきた。


一人暮らしになり、涙を流す機会が増えてきた。以前は実家暮らしで中々一人きりになれる機会がなかったが、今では基本1人なので人目をはばからず泣くことができている。


映画のクレヨンしんちゃんのロボとーちゃんを観て泣いたり、こないだはテレビで昨年ごろのポケモンの映画が放映されていて、それを観て泣いた。youtubeでも、戦地から帰ってきた兵士と家族の再会や、ペットとの再会、ディズニーチケットを恋人に渡すサプライズやプロポーズのサプライズなど見る度に号泣している。


感動することと悲しむことで流す涙は意味合いが違ってくる。


祖父が亡くなったり、辛いことがあって涙を流した時はもう終わったんだ‼︎と強く自分に言い聞かせている。そして、自分なりに合理化し心の中に収めて振り返らず進むようにしている。決してスッキリはしないが、自分が辛いという感情を整理しようとしているのだと、まだ自分の心がしっかりあることを再認識できる。


感動することで涙を流すと心の中で落ち着きや、ある種の幸せを得られる。

感動して涙流した時は、幸せを感じ、心の優しさを認識することができる。共感する心や人に寄り添う心を持っているのだと。


まだ人前で泣く事には抵抗がある。これからも恐らく人前で泣くのを懸命に堪えるだろう。しかし、自分が人として共感する心を持っているかをしっかりと確かめながらこれからの人生を送っていきたい。