はなの日記

思ったこと、日常の事を書いていきます。

地震当日

スマホ片手に寝落ちしてたら、ベッドをゆさゆさと揺さぶられる感覚があり目が覚めました。最初は心霊現象だと思って眼を開けずに必死で

「やめて〜」と心の中で懇願してました。

しかし、ゆさゆさはどんどん強くなっていき、これはただ事じゃないとベッドから体を起こしました。

 

その時すでに手遅れで、今まで体験したことがない揺れが襲いかかって来ました。

後日その揺れは震度6弱だったと知ることになります。

体を左右に強く揺さぶられ、視界は左右に平行移動し、正直半分寝ぼけてて地震と認識するまで5秒ほどかかりました。

壁にかけてたフライパンは床に落ち、棚に置いてあった電子レンジが吹っ飛び、大事にしていたお酒のボトルが床に落ちて割れ、鏡がこっちに倒れてきました。

 

小学生の頃から避難訓練の行事が何回もありましたが、実際に震度1とかではなく、今回のようなやばい規模の地震に遭うと頭を守るといった初歩的なことをする余裕なんて微塵もありませんでした。

無意識にベッド上で地震に揺られながら「マジでやべーって‼︎」って一回叫んだ記憶があります😅

今思えば、飛び起きて逃げ道確保とか、ガス栓閉めるとかやるべきことがありましたね💧

 

揺れは実際20秒ほどでしたが、もっと長く感じました。

揺れが少し収まり、まずは情報を得ないとと思いテレビを速攻でつけました。

ここで、リビングの時計を見て初めて夜中の3時だということを知りました。

しかし、テレビにはまだ速報は出ておらず、ひたすら微弱な揺れの中でテレビを仁王立ちで見つめてました。

そして、速報のテロップがテレビ画面に映し出された瞬間に。

バチチッと部屋の電気が一瞬消えた後。

バツンと停電になりました。

外の信号や近くのコンビニの電気も全て消え、

辺りが暗闇に包まれ一瞬思考が停止しました笑

 

とりあえず、家族は無事か連絡を取らないとと思い、割れたお酒のボトルを踏まないよう暗闇の中ベッドまで戻り、スマホを手探りで探しました。

 

あった‼︎

ホームボタンを押すとスマホの充電が10%…

え…なんで…⁇

私はてっきり充電してから寝たと思い込み、充電せず寝落ちしていたことを忘れていました。

 

絶望です。自分は本当にアホでした笑

連絡手段がまもなく無くなると考えると、出来るだけ充電を温存することを真っ先に考えました。

運悪く、モバイルバッテリーは母に貸していて、スマホの充電手段が皆無でした。

とりあえず、スマホの懐中電灯機能を使い、電池式の懐中電灯をクローゼットから取り出しました。

まず、親へまもなく携帯の充電がなくなり、連絡が取れなくなることと、自分は無事だということをLINEで送りました。

 

そのあとは、着替えをして、すぐに外に逃げられるよう貴重品だけを持ち、とりあえずソファに腰掛けました。

まだ、余震は続いていて、むやみに外に出るのは危険だと判断し、家の中でこれからの動きを考えることにしました。家の中を見て回ると食料はそれなりにあり、ガス、水道は生きていることがわかりました。

 

揺れも少し収まり、朝の4時になりました。

とにかくスマホを充電しないと、テレビが使えない今情報が得られないため、危険を覚悟で懐中電灯と通帳や貴重品だけを持ち、近所のコンビニへ向かいました。

外へ出ると道路に亀裂が入っていて、場所によっては大きく道路が陥没しているところもありました。

近隣住民もゾロゾロと家から出てきており、みんなコンビニへ向かっていました。

信号が機能していないため、車も人も譲り合いで道路を横断していました。

救急車のサイレンも途切れることなくずっとどこかで鳴り響いていました。

 

コンビニへ着くと、長蛇の列ができていました。予想外にコンビニは非常用の電灯で営業していました。人混みを掻き分け、電池式のモバイルバッテリーを探しましたが、すでに売り切れでした。それどころか店内の商品がほぼ全て買い占められており、驚きました。

 

仕方なく自宅へ戻り、再び作戦を練ることにしました。

すると実家の父からLINEが入り、家族は無事とのことでした。

そして、「頑張れ👍」と…

父よ…何か持ってきてくれるとか手助けはないのか…笑

 

1人でなんとかすると決心しました笑

 

朝の5時になり、今日仕事があることに気がつきました…

私の仕事は誰かしら仕事をしないと他の人に多大な不利益が生じるのです。

普段通勤で地下鉄を使っているのですが、当然停電している状況で運行するはずもなく、徒歩で通勤することに決めました。

まず、15分程度仮眠をとり、徒歩1時間近くかけて職場へ向かいました。

 

私の職場は、札幌駅の近辺にありますが、中央区も停電で信号が機能しておらず、警察官か手信号で誘導を行っていました。

JRの改札前では、駅員さんが終日運休のお知らせをメガホンで行っていました。

職場に着くと、電気関係の業者が職場の中で慌ただしく走り回って作業しており、私も仕事の準備を始めました。

仕事の準備をしつつ、他のスタッフと同じように会社の非常用電源を使ってスマホを充電しました。

これが早く出勤した理由の1つでもあります。

インターネットを使い、震源地や今北海道でとんでもないことが起こっていると認識しました。

勤務時間は通常8時半〜17時15分ですが、その日は6時に出勤しました。

7時に部長が出勤してきて、しばらくは来れる人のみで仕事をなんとか回して行くと言われました。その日はバタバタで、家のことや家族、友人のことを考えながらも、任された仕事をやりきりました。

 

仕事は普段通り18時ごろ終わりました。

ヘトヘトで街灯も信号もない中、また1時間程かけて自宅へ帰りました。

家に着くとまだ電気は復旧しておらず、冷凍庫の食材がやや溶けかけていました。

 

日が沈み部屋が真っ暗になり、懐中電灯を天井に向けて部屋の光を得ました。

その日の夕食は、ガスが使えることが幸いし、3日前に買っておいたラーメンと腐る前に冷蔵庫の野菜を手当たり次第に入れた野菜ラーメンを作って食べました。

食後、お湯は出ないので冷水のシャワーを浴びて汗だけを流しました。

 

いつまで電気が戻らないのか、食料は持つのか、また強い揺れが来るんじゃないかとリビングで考え込んでいました。

 

その後は友人の家に泊まったりして、地震の2日後には電気も復旧し、今はお店に食料が全然入ってこないことと、地割れの通行止めを除けば普段と変わらない生活に戻っています。

 

一刻も早い復旧を望むばかりです!